6月5日(土)の昼下がり。札幌の今日はとても晴天の札幌らしい初夏を思わすような
天気です。札幌市西区発寒のフローラパレス宮の沢にあるフローラホール。
ここで第一回フローラいこい寄席を開催しました。このフローラいこい寄席に
北大の教養でも下宿でも学部でも一緒だった彰夫君が40年ぶりにやってきてくれたのです。
お互いの年齢は同じだけ加算されていましたが、すぐに彼だとわかりました。
彼は北大オーケストラでのチェロリストです。
現在は東京で製薬会社のエライサン。いっぺんに学生時代に戻れるものです。
彼を前にしての落語口演には何とも味わいと思い出がありました。
下宿でも彼をお客さんとして稽古をしたものです。錦明竹という落語がありますが、
大阪弁が登場する落語ですが、彼は大阪出身なので私の大阪弁は全く駄目だとの
批評を得たこともあります。それ以来、私は錦明竹を封印してしまいました。
寄席の後、クラス会が、あるから一緒に参加することになりました。
午後6時、ホテルKKR 2階。40年ぶりのツワモノガ30~40名いました。
お互いに≪オマエ!!!!!!!!!!!!!!≫の一言で目を丸くするのがわかりました。
髪の毛はなくなてても目はあまりかわらないもんです。
昭和46年北海道大学水産類入学。以前は類別募集で1年半後の学部移行で学科にわかれるのですが、それまでの教養では第二外国語別のクラス編成です。35,36組はドイツ語、37組フランス語
38組ロシア語です。≪ちなみに39は医進≫
私はロシア語の38組でした。
学科は漁業、増殖、食品、化学の4学科です。ちなみに私は水産化学科です。
講座は化学工学専攻。講座選択は実質話し合いできめた記憶があります。
当時は学生運動の余波もありまだ1年生の時には授業もあまりなかったりもしました。
その当時、留年者も何十人もいたころでご多分に洩れず私も留年しました。
そうしましすと、昭和46年入学でも47年入学者たちとともに学部移行と、なるのです。
当然、卒業も同様です。
現在でもありますが函館に北辰寮という寮があります。
私も北辰寮に入りました。2人部屋でした。おちけんの先輩と、一緒でした。
水産は人数も少なく、寮もおなじですし、殆ど学科を超えての付き合いでした。
40年を超えた 水産放浪歌、北大校歌、都ぞ弥生 は涙がでまいした。